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  2. 【2017年5月18日】階段講堂の謎

『別館』を国の有形文化財に登録し、そこに歴史資料館を設置することになったのは、21世紀に入り大きな変化を求められる時代が到来したからです。私たちの先人の理念の根底にあるものを顕彰し、時宜に応じて私たちの置かれている位置や進むべき方向を明らかにするために別館修復事業と歴史資料館設置事業を行いました。数千年前の先人の言葉が語り継がれ今でも引用されることからも分るように、先人の理念の根底にあるものは私たちが現在置かれている位置や今後向かう方向を示唆してくれる極めて重要なものです。社会の制度や構造にどのような変化が起こるかを具体的に予測することは難しいですが、如何なる変化が起きようとも、人々の置かれている位置と向かうべき方向について人々が集い語らうとき、先人たちの理念の根底にあるものが何かを教えてくれると考えています。

別館の修復事業と設置事業は階段講堂の復元・修復工事をもって、完了とし、以後文化財である『別館』とそれを守る歴史資料館の維持事業を継続しています。当館といたしましては「先人たちの理念の根底にあるもの」を第一義としますが、大上段に構えるだけでなく、内外の方々にはヴォーリズの建築物として、卒業生には友人たちと出会った懐かしい想い出の場として、気軽にご利用いただければと考えています。そのひとつの場として、以下に『階段講堂の謎』をご紹介いたします。

かつて(大正の始め頃?)川端康成氏がランニングをしたという八丁松原に隣接して大阪高等医學専門学校『別館』は昭和3年に建築されました(資料1)。1・2階吹き抜けの階段講堂は、建築当時からそれぞれの時代のニーズに合わせて改造を重ね利用されてきました。当時の様子を示す資料は少なく、建築会社に残されていた設計図と同時期に建築された本館や解剖館の階段講堂の写真を手がかりにして、(財)文化財建造物保存技術協会のご指導を得ながら復元いたしました。建築当時の教育施設には「バリアフリー」という考え方はなく、急峻な階段に机と椅子が固定されていました。文化財の内部であるとの観点から、建築当時の雰囲気とその後に加えられた改造をあわせて復元いたしましたので、現在の教育施設に求められるバリアフリーは達成できておりません。教育施設としての利用には限界がありますが、支障のない範囲でご利用いただければと思います。

さて、大阪高等医學専門学校や旧制大阪医科大学、新制大阪医科大学の講堂・教室として利用されていた『別館』が看護専門学校校舎になった昭和50年頃以降には、階段講堂の机や椅子は取り払われ、書架が置かれて、図書室として利用されていました(資料2)。その後、平成6年に本館・図書館棟の建築により、医学部図書館と看護専門学校図書室が統合され、図書室が不要となったため、階段講堂の中腹に床を張って、1階と2階に分け、看護専門学校の大研修室、倉庫や休養室、更衣室などに用いられていました。

国登録有形文化財『大阪医科大学 別館』の修復・復元工事の最中に、この1階の階段講堂の構造にいくつかの謎が浮かび上がりました。今回の工事では、昇降通路を講堂中央に復元しましたが、設計図(資料3)ではこの通路は存在せず、中央は一続きの机と椅子が設置されることになっていたようです。ところが、修復・復元工事直前まで張られていた床を剥がすと、通路は中央線から西にずれて設置されていたのです(資料4)。看護専門学校図書室として利用していた頃の写真(資料2)に見られるように、席数が左右で異なっています。この通路は図書室閲覧コーナーである最上段まで続いていますので、少なくとも図書室の設置より前、すなわち階段講堂として使っていた頃からこの通路は存在したことになります。

このずれをそのまま残すか否かを検討した結果、修復設計者の意向を入れてシンメトリーになるように通路は中央に設置(資料5)されましたが、通路が中央から西にずれていた謎は残りました。この謎に関して、修復設計者を含めた関係者で議論して、いくつかの答えを得ることが出来ました。そのひとつは、中央に通路があると登るときに教壇にお尻を向けることになるため、講師に対して失礼だと考えたのではないかというものです。もうひとつは、もともと正面の机は一続きの机と椅子であり、偶数席(最前列は6席)分取られていた。1席分の幅の通路を中央に設置すると、左右に半席ずつ残り、結局2席分のスペースが失われることになる。そこで、1席分だけを撤去して作る通路は、中央から左右どちらかに寄せる必要があったというものです。実際に復元してみて、資料5のように階段と机の間に左右半席ずつ空間が出来てしまいました。これを見て、当時の人々のスペースマネージメントへの思慮に気付きました。

他にもこの通路は竣工時には存在しなかったのか、建築中に設計変更されたのか、それとも竣工後に長い机と椅子では出入りが難しいことが明らかになり改造されたのか、もし後日改造されたとしたらいったい何時改造されたのか、なぜ東にずらさず西にずらしたのか、この講堂で行われた講義はどのような授業科目であったのか等、この講堂には様々な謎があります。卒業生の皆様のご協力を得て、これらの謎を明かすことが出来ればと考えています。

最後に、国有形登録文化財『別館』とそこに設置された大阪医科大学歴史資料館は学校法人大阪医科薬科大学の設置目的とその基盤になる理念やその法人が設置する教育施設の目的を顕彰することによって、医学医療の在るべき姿を模索する場として利用いただきたいと思っていますが、その他にも、さまざまに利用いただき、日々の生活の中でこのようなちょっとした事柄に目を向けて楽しむことも大切であると思います。皆様には今後とも何らかの形で『別館』や歴史資料館をご利用いただきたく改めてお願い申し上げます。

以上

註:この文章は、2008年4月に執筆したものを、2017年5月に校正したものです。