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  2. 【2015年6月8日】高槻 寒天雑話 其の一

去る平成22年3月6日に学校法人大阪医科大学歴史資料館の市民公開講座の演者を務める機会を頂き、「高槻 寒天雑話」と題して講演しました。寒天は伏見で発明され永く伏見の名物でしたが、当地高槻で製造法が改良され良質の寒天を効率よく製造できるようになってからは全国に広まり、近代日本の輸出品となったといいます。第二次世界大戦中はに敵国における細菌兵器研究を妨害するために寒天の輸出を禁止したと仄聞しています。最近の寒天ブームでは、医療現場にも影響を及ぼすなど、寒天の存在は極めて重要なものとなっていることを実感しています。
 ここに記す記事はおおよそ他家の調査や説に従うものですが、高槻に位置する大阪医科大学と寒天の縁を求めた部分は独自もののであり、以下の文献を参考にして記述にとどめたく筆を執った次第です。

参考文献

1. Wolfgang Hesse (translated by Dieter H. M. Groschel) : Walther and Angelina Hesse – Early Contributors to Bacteriology. ASM News, 58 (8) 425-428 (1992)
 2. Robin A. Weiss: Robert Koch: The Grandfather of Cloning?: Cell 123:539-542 (2005)
 3. Hitchens,A.P. & Leikind, M.C.: The introduction of agar-agar into bacteriology, J. Bacteriol. 37:485-493 (1939)
 4. 林金雄、岡崎彰夫: 寒天ハンドブック 光琳書院 昭和45年6月1日発行
 5. 山中太木: 寒天の鴻恩 寒天に感謝を捧げよう 禅 第375集: 1-5 昭和61年7月
 6. 井川好: 近世・北摂における寒天生産について 関西歴史散歩の会 2006年1月月例会(2006)【平成18年1月8日(日) 高槻市総合市民交流センター5階視聴覚室での講演まとめ】
 7. 野村豊:寒天資料の研究【古藤勘平、黒田貞一、弓樹幸四郎、橋本佐太郎、石田和夫、石田与三治、各氏所蔵古文書】
 8. Brock, T.D.: “Robert Koch”, ASM Press (1999)

寒天の日

2月16日は「寒天の日」とのことです。一体誰がどのようにして決めたのか不思議に思い、インターネットで検索したところ、寒天の日は、茅野商議所と寒天組合が日本記念日協会に申請して登録されたようです。 2006年、全国に寒天ブームを起こすきっかけとなった寒天の健康効果に関するテレビ番組(NHKためしてガッテン)が2005年2月16日に放送されたことなどにちなんでいるとのことです。
 
 寒天ブームが巻き起こった時には、乾物コーナーから寒天が売り切れ、在庫が底をつき、医療分野で病原細菌の分離に使う寒天さえも不足するのではないかと危惧され、医療用の細菌診断用寒天培地の原料を作る会社でも寒天の確保に努力したと聞きました。私たちも医学生の実習用の寒天が不足するのではないかと心配したことを覚えています。

 記念日の由緒はともかく、寒天の存在を認識し、寒天やその発明・改良・応用などに努力した人々に感謝する切欠となるのであれば、「寒天の日」は大切なものであると思うのです。

寒天とはなにか

生物学辞典によれば、「植物性粘物質の一種で、粘質性の複合多糖類混合物である」と記されています。また、寒天ハンドブックによれば、「①紅藻類の細胞壁成分で、約70%アガロースと約30%アガロペクチンの混合物、②紅藻類を物理的・化学的に処理し、抽出精製した乾燥製品、③親水性コロイドで、冷水(40~50℃前後)に不溶、熱水(80℃以上)に可溶であり、温度可逆性を有し、熱水溶液を冷却すると弾力性のゲルとなり、加熱すると融解する。」と物質・抽出法・物性の観点から定義されています。専門家以外の者には難しい内容ですが、要するに「寒天は熱水加熱しないと解けず、人の体温ほどに冷やすとかたまる。一旦固まった寒天は80℃以上に熱さないと解けない。」ということです。私たちは、水のように溶ける温度と固まる温度は同じだと感じていますが、固まる温度と解ける温度が異なる物質もあります。この性質が後に様々な病原体の発見へと繋がっていくことについては後に述べることにします。

 寒天に似通ったものに「ゼラチン」や「ナタデココ」があります。ゼラチンは、コラーゲンの加熱誘導体たんぱく質で、動物に由来します。1%溶液は40℃前後以下でゲルとなり、それ以上の温度になると再び溶け、長時間加熱すると固まらなくなります。また、比較的最近に発明された「ナタデココ」(nata de coco:「ココナッツミルクの表面にできた膜層」の意)はココナッツミルクを好気性乳酸菌で発酵し、その表面にできたセルロース層のことで、植物性の寒天や動物性のゼラチンと違い細菌由来のセルロースで、寒天とは異なるものです。

寒天と瓊(ところ)脂(てん)の関係

現在私たちが「心太(トコロテン)」と呼んでいる物は寒天を材料として作られますが、かつては紅藻類の煮汁を煮凝らせたものでした。寒天はその煮凝りを凍結乾燥させて作った乾物なのです。

 寒天の歴史を辿ると、「agar(アガル)-(-)agar(アガル)」と呼ばれる東南アジア(マレー・ジャワ方面)の植物性の抽出食材が中国に伝わって、「瓊(ジュ)脂(シー)(瓊:赤い美玉、脂:樹液)」と名乗られるようになったと推測できる記載(殖田・岩本・三浦、水産植物学422、1967年)があるとのことです。その「瓊(ジュ)脂(シー)」が仏教の伝来とともに日本に伝わったそうで、中国ではこの「瓊(ジュ)脂(シー)」は「煮凝る」性質があることから、「凝藻葉」と記されていたそうで、これが日本で「古留毛汲(こるもは)」、「コゴルモハ」と呼ばれるようになり、万葉仮名で「古(こ)々(ご)呂(る)布(も)止(は)」と記述され、「ココロフト」と読みかえられ、さらに「心太」と漢字が当てられ、「ココロタイ」→「ココロテイ」→「ココロテン」→「トコロテン」と音韻変化したとのことです。因みに、日本語で「瓊脂」と書いて「トコロテン」とも読みます。万葉仮名で記されたときに「ル」は「留」、「瑠」、「流」「琉」と表記されるはずですが、なぜ「呂(ろ)」と記された経緯は私にはわかりません。

 「凝(こごる)藻(も)葉(は)」→「古(こ)々(ご)呂(る)布(も)止(は)」→「ココロフト」→「心(こころ)太(ふと)」→「ココロタイ」→「ココロテイ」→「ココロテン」→「トコロテン」

 今でも、インドネシアのレストランで「アガル・アガル」と呼ばれるフルーツの寒天包埋料理を食することができるそうです。歴史的に東南アジアの「agar-agar」が中国へ伝わって「瓊(ジュ)脂(シー)」となったのか、中国の「瓊(ジュ)脂(シー)」が東南アジアに伝わって「agar-agar」となったのか、現在のところその順番を明確に示す記述を見つけることは出来ませんでした。

瓊(ところ)脂(てん)が食用になった理由

こいわゆる「テングサ」からagar-agarあるいは瓊(ジュ)脂(シー)(トコロテン)を作って食用にしたのは千~千二百年前のこととも言われています。先に記したように心太の主成分は植物性多糖類で、人間はこの多糖類を分解する酵素をもっていません。したがって、いくら食べても栄養にはならず、せいぜい緩下剤ぐらいにしかならないと考えられてきました。最近、寒天が生体に及ぼす影響について研究され始めたものの、この栄養価のない心太がなぜ食用になったか疑問の残るところです。

 寒天が重用される理由は、無味無臭で、さまざまな水溶液に溶けて、しかも他の溶解物に影響を与えないことと、熱水に溶けて冷却によってゲル化し、地上の大気温では再び溶けず、さらに高温まで加熱しないと溶けないという物性にあります。つまり、食品などを包埋したり、液汁に溶かしてゲル化させると、地上の通常の気温の範囲では再び溶けることはなく、しかも保水性に優れているため、液汁を含んだ固形を保つことができます。また、病原細菌の多くはagaraseと呼ばれる寒天を分解する酵素をもっていないため、食品や液汁を包埋しゲル化した寒天に病原細菌が付着したとしてもその表面で増殖するだけで、内部にまで侵入することは少ないと考えることができます。

 寛永の頃(1624年~1644年)の料理本に、「鯉ノ凝(煮凝り)ニ 夏ハ 心太ノ草ヲ加ヘヨシ」とあるそうです。つまり、鯉の煮凝りは動物性のゼラチンが固まったもので、冷蔵技術の普及していない時代には冬の料理であったと思われます。前述のように、ゼラチンというのは、低温でなければゲル化しないもので、三十数度になれば溶けだしてしまいます。ところが、心太という植物性多糖類は一旦ゲル化すると80~100℃に熱さないと溶けないので、心太を加えて作った煮凝りは、少々気温が高くなっても溶けることはありません。その性質を利用して、夏でも煮凝りの食感を味わおうと心太を加えて料理したのでしょう。液状の栄養分を固形化することによって食しやすくし、さらに満腹感を得ることができます。また、口に含むと清涼感があることも心太が食用に供された理由かもしれません。
 多くの食品もそうであるが、最初にagar-agarあるいは瓊(ジュ)脂(シー)を食した人の智恵と勇気に敬意を表したいものです。

つづく