レリーフ(1階講堂)

本学の医学教育を象徴する講義風景のレリーフは、創立当時より昭和50年まで旧解剖館に掲げられておりました。その後、講義実習棟2階正面に移設され、平成6年の本館・図書館棟竣工による講義実習棟との渡り廊下の設置に伴い講義実習棟1階入口に再度移設されました。レリーフの状態を調査いたしました結果、風雨による腐食が激しく修復する必要があることがわかりましたので、平成16年12月に撤去いたしました。修復が完了いたしましたので、皆様に再会していただけるよう平成19年3月に以前より予定されておりました別館1階講堂(階段教室)に展示いたしました。

大阪高等醫學專門學校復元模型 縮尺1:300(1階ホール)

昭和8年頃の本学の全景を復元した模型です。

扁額(2階展示コーナー)

先人の跡を 師とせず 先人の心を 師とすべし

当時の細菌学教室 山中太木教授を訪問された際に志賀潔博士より贈られた筆です。志賀博士の赤痢菌発見の偉業を教室の者が絶賛したことに対して、「博士の偉業に目を注ぐのではなく、赤痢で苦しむ人々をなくそうという気持ちで仕事をした結果が赤痢菌の発見であり、その心を大切にするように」との戒めの言葉として贈られ、その真意を伝えるために「潔」を「貴洋史」と記されたと伝えられている。

この言葉の由来について、志賀博士が宮城県仙台市のご出身であることから、「奥の細道」を通して松尾芭蕉に習い、「古人の跡を求めず 古人の求めしところを求めよ 南山大師の筆の道にも見えたり(芭蕉、許六離別の詞)」を引用されたとも考えることができます。弘法大師が筆の道を説いた「古意に擬するを以って善となし 古迹に似るを以って巧みとなさず(弘法大師、『遍照発揮性霊集』)」を芭蕉が引用して「歌」の心を説き、それを志賀博士が引用して学問の在り方を私たちに説いたとすれば、人の在り方を貫く大切なものが見えるような気がします。

志賀 潔(1871年2月7日-1957年1月25日) 宮城県出身、帝国大学医科大学(現東京大学医学部)卒業、細菌学者、北里柴三郎に師事。慶應義塾大学医学部教授、朝鮮総督府医院長、京城医学専門学校長、京城帝国大学総長。文化勲章受章者。博士が発見した赤痢菌は博士の苗字をとりShigellaと命名され、世界的に知られている。

扁額(2階展示コーナー)

本も読まなくてはならぬ 考えてもみねばならぬ しかし凡人は働かなくてはならぬ 働くとは天然に親しむことである 天然を見つめることである かくして天然が見えるようになる

本学の前身、大阪高等医學專門學校の創設者、吉津 度(よしづ わたる)はその設置を同郷の古武弥四郎博士(大阪大学医学部の前身である大阪医科大学教授)と古武博士の恩師である荒木寅三郎博士(京都帝国大学総長)や同門の戸田正三博士(京都帝国大学教授)の指導と協力を得て、優秀な教授陣を配置した経緯がある。以来、古武弥四郎博士は大阪高等医學專門學校の卒業生の研究指導などにも協力した。そのような経緯から、本学に古武博士の筆になる扁額が寄贈されたものと思われる。

古武弥四郎(1879年7月12日 - 1968年5月30日) 岡山県出身、旧大阪府立高等医学校卒業、生化学者、京都帝国大学医化学講座の荒木寅三郎に師事。大阪帝国大学医学部教授。県立和歌山医科大学学長。

本学最初の電子顕微鏡 島津SM-C2型(2階展示コーナー)

昭和34年の大学院医学研究科設置認可において必要不可欠であった電子顕微鏡を、本学卒業生より法人に寄贈されました。当時の電子顕微鏡としては5000倍まで観察でき、教育研究に多大なる成果を上げることに寄与しました。

体験コーナー(2階展示コーナー)

生命への興味を持つ機会として、主に小・中学生を対象とした顕微鏡の使用を体験できるコーナです。

顕微鏡(2階展示コーナー)

単眼式正立顕微鏡

メーカー 不明
年代 昭和20年代(1945~1955)
特徴 照明法としては、太陽光を光源としており、光を反射鏡で反射させることによりサンプルに照明をあてる仕組みになっています。

顕微鏡(2階展示コーナー)

S-Ke顕微鏡

メーカー ニコン
年代 1970年代
照明 6V30Wタングステンランプ
光源 ケーラー照明内蔵(芯出し可)
特徴 通常は黒色ですが、大阪医科大学独自に発注して色を変えて使用されました。